大学が求めるアウトプット日米の差

近くにある大学の講座を聴講し始めて2週間、そろそろ授業にも慣れてきたけれど、こちらの大学のアウトプットの求め具合にはホント驚いた。

なんといっても課題の量がすごい。私は全部で4つ講座を取っていて、英作文・スペイン語・絵・ビジネスなのだがそれぞれの授業で毎回何かしら課題が出るのは心の底からびっくりした。
この大学はとりわけエッセイを書かせることで有名らしいので、アメリカの全ての大学に当てはまる法則ではないでだろうが、あくまで「日本の大学」と十把一絡げにした話でいうと、その放置具合と比べるとすごく大きな違いだ。

例えばスペイン語の授業だと、教科書と連携しているオンラインサイトの課題が一週間おきに迫ってくる。テスト(小テストのことをQuizという)もちょこちょこあるので自習は欠かせず。日本の「二外」というと必修だから取るものの、その後さっぱり使いものにならないという結果になりがちだけど、そういうおざなりなスタンスではとても乗り越えられる課題量ではない。
英作文では毎回文字通りエッセイを書くし、ビジネス(起業入門)では分厚い教科書の1章分を読んでいくつかの質問に答えるということを週に2回の授業毎に求めらる。
加えて絵画の授業も、カルチャー教室(行ったことないので想像)のような緩い雰囲気ではなく「来週までに円柱形のもの(ワインボトルとかペットボトル)を10個スケッチ」だとか…。じゅ、じゅっこ?

課題が多いということは、先生もその分添削だのチェックだのする義務ができるわけで、学生・先生双方の授業へのコミット具合は一般的な日本の大学のそれと比較にならないと感じた。

日本の大学時代のインプット・アウトプットの比率を9:1だとしたら、アメリカの場合は5:5だと思うという話を夫にしたら、彼は日本の大学院は3:7くらいだろうと言っていた。アメリカの院の場合はさらにアウトプットの率が上がるだろうと。
そのほかに、高校の教師は精神的に成熟していない生徒に社会適応のための土台を教え込む「教育者」としての役割が強い一方、大学になると教授・教員は学問という体系的な知識を学生に伝達する、という意味で全く違う。更に大学院まで行くと自分の考え・仮説・理論を学会という媒介を通して社会に発表することを求められる、というようなことを話した。

「キャンパスライフ」という言葉から連想する生活がこれほど勉強で埋まっていると、卒業する人の差もすごいことになるのではないかと思う。更にアメリカでは勉強だけできても、勉強以外の活動、例えばボランティアだとかインターンだとかスポーツだとかで実績がないと評価されないという。加えて大学の高い学費を払うためローンを組んだ結果破産してしまう人の急増は社会問題のひとつでもある。色々な意味でアメリカの学生は日本の学生よりシビアな条件下にいる。

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