読書

東テネシーの英雄、ドリー

最近読んだ本で感銘を受けたので。
歌手、女優のドリー・パートンを知っていますか?

dolly

“You’d be surprised how much it costs to make a person look this cheap!” -Dolly Parton

金髪に派手なメイキャップ、今時どこで買うのかというボディコンファッション、そして何より目を引く人工的なboobs(おっぱい
「人は見かけが九割」の原則に従うなら全く大した人物には見えないはずの人工的なルックスなのだが、ドリーに関しては「人は見かけで判断してはいけない」の教訓の方が正しいと言える。

ドリーは東テネシーの英雄とも言っていいほど地域の人々に崇拝されてちる人物で、同時に全米でもQueen of Countryと呼ばれるカントリー歌手の大物であり、The Book Ladyと呼ばれる教育啓蒙者でもあるのだ。

ドリーが生まれたのはスモーキーマウンテンのふもと、Seviervilleという小さな村。十二人の子どものうちの一人だった。敬虔なキリスト教徒である両親とのちに歌手になるきっかけを与える叔父、兄弟たちに囲まれて育ち、いつの日かカントリーの本場ナッシュビルでスターになることを夢見て強靭な意思でその夢を叶えた。歌手としても多くのヒットを飛ばし、女優としても名を残した。南部の暮らしに興味があるならぜひお勧めしたい映画「Steel Magnorias」(邦題「マグノリアの花たち」ジュリア・ロバーツも出演)は南部の小さな町を舞台に病と戦う強い女性たちを描いた名作。ドリーも重要な役どころで出演している。
それにホイットニー・ヒューストンが歌ってヒットしたI Will Always Live You(映画「ボディーガード」の主題歌。私も子供の頃満員の映画館に見に行った)は実はドリーが作詞作曲したものだ。

Dolly版のI Will Always Love You

ホイットニー版と全然違う。この曲カントリーだったんだなーと思う。

ドリーのすごいところは、このように歌手、女優として大成功を収め巨額の収入を得ておきながら地元を忘れなかったことだ。
ドリーの生まれたスモーキーのテネシー側は、今でこそドリーが設立した遊園地DollywoodやDixie Stampieのおかげで潤ってはいるが(それでも世帯所得は全米の平均より低い)その当時、1960年頃は本当に何もなかった。ただ農家が集った小さな集落で、どの家庭も大人は働き詰めで子どもへの教育もそこそこにぎりぎりで生活しているような状態だった。現にドリーの父親は2001年に亡くなったが、読み書きができなかったという。(21世紀のアメリカで、読み書きできないという人がいることに私はショックを受けた)

ドリー自身は高校を出てから歌手になったが、農家の子どもがどうせ家業を継ぐから高校をドロップアウトしてしまう現状を打開しようと、高校を卒業したら五百ドルをあげると高校生に約束し、その結果その年から急激に卒業率があがったという。ちなみにそのギフトは今でも続いている。卒業したら賞金をくれる、そんなセレブリティがいるだろうか?(著書「Dream More」の中でドリーはこのことについて「彼ら(高校生)のことを気にしている人がいると知る、それが彼らにとって力になる」と書いている。この本についてはもっと紹介したいが長くなるので省く)

識字率も低く収入が安定しない、そういったPoor White(白人貧困層)が多い地域の出身だったドリーは色々と思うところがあったんだと思う。中でも彼女が最も気にかけるのが子ども。子どもたちの想像力:イマジネーションを養ってもらおうとドリーが始めたのがImagination Library。
Dolly Parton’s Imagination Library
これは該当地区で子どもが生まれたその日から五歳になるまで毎月一冊の絵本が自宅に届くというプログラム。私も登録したので毎月届き始めた。国籍は問わず、単にWebか手紙で住所などを登録すればいいだけ。農家などは絵本自体にアクセスがない子どもが多いと気づいたドリーが始めたこのプログラムは今では全米、カナダ、そしてイギリスにも行き渡っている。

第一冊目はThe Little Engine That Could
邦題「ちびっこきかんしゃだいじょうぶ」

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右側についている丸いマークがイマジネーションライブラリーのマークで、絵本をめくると最初のページにドリーからのメッセージが書いてある。

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このイマジネーションライブラリーが、あなたの夢を叶えるための翼となりますように。

この絵本も本当にいい話で。泣いたね。ドリーほんとすごい、と。これだけ子どものことを、他者のことを考えてくれてるのかと。
娘が生後一カ月のときに届いたので月齢に見合った本ではないのだが、娘もそのうち読むことができるようになるだろう。私たちがテネシーにいる限りこれから毎月届く絵本はその後も娘の宝物になるだろうし、ドリーの想い「夢を持ち、叶える力」を養うための大きな力になるだろうと思う。
ドリーは誰もが尊敬するテネシーの英雄なのだ。

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本屋で見つけたドリーのポップ。

超尊敬してます!

旅のお供Kindle

いよいよ明朝の便で帰国となり、2か月前から書き溜めていた食べたいものリストが火を噴く日々がやってきました。
意外に前日はパッキングも済んで余裕ができ、さきほど地味にリストを追加したりしていました。
おっしゃー食べるぞー!!!

しかし最後のポストが食べたいものリスト(2か月前)というのも意地汚いので書こう書こうと思っていたKindleの話題がちょうどYahooニュースに出ていたのでこの機会に書いておこう。
いよいよKindleが今年日本に上陸!
アマゾンと楽天、電子書籍端末発売へ 国内市場、活気づくか(J-CASTニュース) – Y!ニュース

去年から2012年という噂はあったのだけどamazon本社からのプレスリリースがあったということで祝!Kindle日本発売!
何を隠そう私は悩みぬいた末一番安い($79)Kindleを買って、結果Kindleは買ってよかったランキング2位に位置付けられているのです。(1位はお掃除ロボットルンバ)
どんなことができるのかはちょっとぐぐれば雨後の筍のようにサイトが出てくるので省きますが、これ読書習慣を変えますよー。

青空文庫青空キンドルのタッグは言わずもがなだし、著作権が切れている英文学も読み放題!英文学ではProject Gutenbergが有名。
単純にAmazon.comからも簡単にダウンロードできます。

私は元々洋書は頑張らないと読めないのですが児童文学ならいけるかと思いこれでSecret Garden(邦題「秘密の花園」わがままな女の子が秘密の庭での鳥や植物とのふれあいを通して明るくなっていく話)を読みましたけど楽しめました。

というのもKindleに元々辞書が入っていて、カーソルを合わせると意味がポップアップで出てくる仕組みなので非常に読みやすかったです。
その辞書もデフォルトをOxford Dictionary of English(イギリス英語)かNew Oxford American Dictionary(アメリカ英語)どちらかを選べるというオプション付き。
地味に凄いですよこれは…

愛しすぎて即刻カバーも作ってしまった。
 
参考にしたYoutube↓(私は中身は厚紙)
Make Your Own Kindle Cover

軽いし人工ライト下でも直射日光のもとでも見やすいEインク、持ちこむ文庫本を読み終わるという恐れもなくなり12時間のフライトのよき友となる予定です。

これから日本でデバイス発売ということで、出版社も電子書籍に幅を広げてくるでしょう。それによってリアルタイムで応援している(要は新刊の度に買って「おもしろいからがんばってね」サインを送っている)作家モリミーこと森見登美彦や道尾秀介、そして安達正勝の本(めったに出ないけど)が発売と同時にアメリカで購入・読むことができるという世界がより間近に迫ってきました。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で -まとめと感想

2年も前に出版された本だが、ようやく読み終わったのでまとめと感想。

 

 
 
 
 

 

ここ数年の勉強ブームの一端を担ったのが日本企業における英語の需要増加だが、誰もが英語を勉強しようとしている風潮の中からこの題名「日本語が亡びるとき」を見てドキっとしたのは私だけではないはず。
著者の水村美苗は私のここ5年の読書の中で一冊を選ぶとしたらこれ、という程衝撃を受けた「本格小説」を書いた作家であったので、前々からこの「日本語が~」は持ってはいたのだが(私にとって)あまりにも考察が深すぎて、読み通して理解そして咀嚼するのに数カ月かかってしまった。しっかり理解しているかどうかも疑わしいが、なるほど要するにこういうことを言いたいのね、ということは掴んだと思う。なので、この場を借りて内容のまとめを試みることにした。

この本のメッセージを一言で言うと、
“日本語の書き言葉の劣化によって、日本文学が亡びつつある”
ということだと思う。

つまり、「日本の至宝である近代文学(逆にいえば、今の文学界は荒野と筆者は言っている)を生み出してきたという過去にも関わらず、いかに日本語の書き言葉そして文学がインターネットの登場による英語へ転換の中で危機に瀕しているか」ということ。

彼女はそれを、自身の個人的な在米経験、世界中の作家たちとの交流の体験、世界的に評価を得た日本文学とそれを輝きせしめた日本語の成り立ち、そしていかに話し言葉にすぎなかった俗語がナショナリズムの呼び水たりえたかなどの点から考察しており、また自身で言語の種類を定義することによっても説明を試みている。
以下はこの本で重要な言語の概念。言語は3つに分けられる。

<普遍語>…その辺り一帯を覆う古からある偉大な文明の言葉。例えば文明開化以前の日本での漢文、かつてのラテン語、そして今の世界での英語。
<現地語>…人々が巷で使う言語。俗語。多くの場合、母語。例えば平安時代のひらがなや、近代以前のヨーロッパのほとんどの言語。
<国語>…<普遍語>で説明された概念の<現地語>への翻訳を通じ、<現地語>が昇格した言語。この昇格によって<普遍語>と同じ機能を果たすようになった言語。母語のもつ長所を生かしきることができる。

関係を図にしてみた。

しかし、グーテンベルグの印刷機の発明によって大量印刷が可能になったことによって、それまで話し言葉にすぎなかった各地の言語が書き言葉となり書物として流通、その流れがナショナリズムに大きく貢献することになる。<現地語>であったドイツ語、フランス語、オランダ語などが地域別に何百万の人々によって共有することによって<国語>になった。

そして、今、インターネットによって、学問の言語が英語へ一極化する傾向がより加速化した。水村の言う危機とは、このままでは<国語>が<現地語>へ降格し、つまり国民文学が消滅してしまう、というものだ。

なぜ水村はこのような危機を感じているのか。それは、より多くの知識・知恵を求める人ほど普遍語としての英語に惹かれていくのが自然の流れであるからだ。

<叡智を求める>という行為は、究極的には、目的を問わずに、人間が人間であるがゆえの行為にほかならない(p.187)

からだ。
水村が一貫して繰り返すのは、「母語ゆえに伝わるもの」「翻訳によって伝えられないもの」の消滅の危機である。この危機を切り抜けるため、現在の学校教育へのいくつかの提言をしてこの本は終わる。

(さらに…)